名言

夢を追う人へ送るウォルト・ディズニーの3つの名言【英語で学ぶ名言集】

ウォルト・ディズニーの名言
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ディズニー映画の生みの親で、世界中の人を虜にした人物がいる。

ウォルター・イライアス・ディズニー。

ウォルト・ディズニーの名で知られる彼は、映画、テレビ、テーマパークなど、ジャンルを超えて創造力を発揮し、世界中の人々に夢と感動の体験を提供し続けました。

 

どうもこんにちは。たか(@taka_manatabi)です。

 

話は変わりますが、あなたは夢を追っていますか?

夢を追うその道中には、様々な壁や困難があります。

そんな人に送りたい名言こそが、ウォルト・ディズニーの名言なんです。

ということで今回は、夢を追う人へ送るウォルト・ディズニーの3つの名言を僕なりに解釈して紹介します。

ウォルト・ディズニー

ウォルト・ディズニーは誰もが知る有名人ですが、今回紹介する名言に深く関わるところもあるので、彼の物語を少し見てみましょう。

彼の波乱万丈の人生は、読んでいるだけで面白いですよ。

では、見てみましょう。

幼少期

1901年にアメリカのシカゴに生まれたウォルト・ディズニーは、幼少期からアートへの関心のある子供でした。

絵画教室に通って絵を描くようになり、7歳の頃にはウォルトの描いた絵を買う人まで現れました。

高校生になると、夜間の美術の専門学校に通うようになりました。

その後第一次世界大戦が勃発すると、愛国心の強かったウォルトは、高校も専門学校も辞めて陸軍になる決意をします。

その頃16歳だったウォルトは、軍に志願するには1歳足りず、代わりに赤十字社の衛生兵として負傷した兵士の治療や輸送に従事しました。

戦争が終わり帰郷したウォルトは、漫画家になる夢を追い、新聞で漫画を描く仕事を請負います。

しかし、現実は仕事の依頼はなかなか来ず、その日の生活も苦しむような日々を過ごしました。

そんなウォルトを見かねた兄のロイは、あるアートスタジオの広告デザインの仕事をウォルトに紹介し、そこで働くことになりました。

ポイント
  • 幼少期のアートへの関心
  • 愛国心が強い
  • 漫画家の夢を追うも、なかなか売れず
  • 兄のロイが広告デザインの仕事を紹介

アイワークスとの出会い

ウォルトは、そのアートスタジオで生涯の友人となるアブ・アイワークスと出会います。

翌年、そのアートスタジオの契約を打ち切られ失業すると、ウォルトとアイワークスは2人で新たな創作活動を始めます。

そうして2人でデザイン会社を立ち上げましたが、設立早々ウォルトがアニメ制作会社に引き抜かれてしまったため、会社はすぐに倒産してしまいます。

初めは生活のためにアニメーターの仕事をしていたウォルトでしたが、次第に漫画からアニメへと自分の興味が移っていきました。

そして1920年、ウォルトは弱冠20歳で独立し、個人事務所を立ち上げました。

アイワークスをはじめ数人のアニメーターを呼び寄せ、アニメ制作に没頭したウォルトですが、資金繰りがおろそかになり、結局この会社も倒産してしまいます。

ポイント
  • アブ・アイワークスとの出会い
  • 2人で会社を立ち上げるが、すぐ倒産
  • 生活のためにアニメーターへ
  • アニメの個人事務所立ち上げ
  • 資金繰りに失敗し、再び倒産

ディズニー・ブラザーズ社立ち上げ

2度の倒産のあと、ウォルトは再起を図って映画産業の本場ハリウッドへと移住します。

そこで兄のロイと共に、「ディズニー・ブラザーズ社」(以下ディズニー社)を立ち上げます。

この会社は過去に作った「アリスの不思議の国」シリーズの続編を販売する目的の会社でしたが、そのうちアリスアニメを再び制作できる機会を得ます。

ウォルトは、アイワークスをはじめとする個人事務所時代のアニメーターを再び呼び寄せます。

そして、少女子役の実写にアニメーションを織り交ぜた「アリスコメディシリーズ」が人気を博し、ディズニー社の経営は軌道に乗ります。

このディズニー社が現在に続く「ウォルト・ディズニー・カンパニー」の前身となるわけです。

ポイント
  • ハリウッドに拠点を移す
  • 兄のロイとディズニー社立ち上げ
  • 「アリスの不思議な国」
  • 「アリスコメディシリーズ」

ユニバーサル・ピクチャーズとの繋がり

軌道に乗ったディズニー社は、アニメ興行師であるチャールズ・ミンツの紹介で大手ユニバーサル・ピクチャーズと関係を結びます。

ウォルトは、自社キャラクターとして「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を考案し、オズワルドを主人公にしたアニメをユニバーサル配給で制作しました。

オズワルドはシリーズスタートと同時に大ヒットを飛ばし、ディズニー社はアメリカでも屈指のアニメ製作会社に急成長します。

しかし、ここでウォルトに悲劇が訪れます。

ミンツとユニバーサル・ピクチャーズが裏で手を組み、オズワルドの権利をめぐってウォルトと対立します。

ミンツはウォルトに対し、法外な配給手数料を要求します。

そしてウォルトがそれを拒否すると、ミンツ側は大手の権力を使い、ディズニー社のスタッフを引き抜いていったのです。

ディズニー社は配給元もオズワルドもスタッフも、文字通り全てを失って倒産寸前に追い込まれてしまいます。

ポイント
  • チャールズ・ミンツとの出会い
  • ユニバーサル・ピクチャーズとの関係
  • オズワルド誕生
  • ミンツによるスタッフの引き抜き
  • ディズニー社は倒産寸前

ミッキー・マウス誕生

会社を再建するにあたって、ウォルトはオズワルドに代わる新たな自社キャラクターが必要だと考えます。

そしてウォルトは、オズワルドやアリスコメディの中で、ライバルとして度々登場させていた「敵役のねずみ」を主役に抜擢します。

すぐにアイワークスがデザインに起こし、「ミッキーマウス」が誕生したのです。

ミッキーマウス・シリーズは、秀逸な動きの描写をアイワークスが描き、ウォルトは演出面で高い才能を発揮し、すぐに人気キャラクターになったのです。

後にディズニー社の従業員は「ミッキーの動きはアイワークスが、魂はウォルトが生み出した」と語ってます。

一方、ウォルトの演出とアイワークスの作画を失ったオズワルドは、次第に人気を失います。

ミッキーマウスは世界的に人気になり、ディズニー社の再建に大きく貢献したと言得るでしょう。

ポイント
  • 敵役のネズミを新キャラに採用
  • ミッキーマウスの誕生
  • ディズニー社の再建

ディズニーランドの建設

ディズニー社は1950年頃から、テーマパークの建設を計画し始めます。

そして1955年に、カリフォルニアに「ディズニーランド」をオープンさせます。

アニメ制作からテーマパーク建設へと経営を多角化し、ウォルトはアニメーターから実業家へと変わっていきます。

その後、ディズニーのブランドをアメリカ全土に広げるため、西のカリフォルニアに加え、東のフロリダにもディズニーランドを建設する計画をします。

そしてフロリダに、マンハッタン島の2倍にもなる広大な土地を購入し、ディズニーランドやホテル等を取り入れた「ディズニー・ワールド」を作り始めます。

しかし、酒にタバコという不健康な生活を続けていたウォルトは、1966年に肺癌で亡くなり、「ディズニー・ワールド」の完成を見ることなくこの世を去りました。

その後ロイによって、ディズニー・ワールドは「ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート」と改名され、現在も世界中の人に夢を与える場所になっているのです。

ポイント
  • ディズニーランドオープン
  • ディズニー・ワールドの建設開始
  • 西のカリフォルニアと東のフロリダ
  • 完成前に肺癌で死去

ウォルト・ディズニーの名言

ウォルト・ディズニーとミッキーマウスの銅像

波乱万丈な人生を送ったウォルトですが、その人生の中で彼は多くの名言を残しています。

その中でも、夢を追う人へ送りたい3つの名言を紹介します。

また、それぞれの名言を僕なりに解釈してみました。

皆さんも考えながら読んでみてください。

名言1

「逆境に咲く花は、他のどの花よりも貴重で美しい。」

”The flower that blooms in adversity is the rarest and most beautiful of all.”

 

ウォルトは2度も会社を倒産させ、また3つめの会社であるディズニー社も倒産寸前まで追い込まれています。

しかしそんな中でも、すぐに新たな創作活動を始め、逆境を何度も乗り越えてきたウォルトのこの言葉には、重みが感じられます。

ウォルトはいつだって自分の創作活動を楽しんでいました。

自分の創作活動に集中しすぎたからこそ、資金繰りに失敗したり、倒産寸前まで追い込まれたりしたのです。

ただそんな逆境の中でも、ウォルトはまだ楽しんでいるのです。

新たな会社を立ち上げたり、新たなキャラクターを生み出したりと、本気で逆境から這い上がろうとすると同時に、本気で自分のやりたいことを楽しんでいました。

 

「ピンチの時こそ笑顔で」なんてことをよく言いますが、逆境を心から楽しめるようになったら、人生はどんなに豊かなものになるでしょう。

人生には何度も逆境が訪れます。

そんな時にこの言葉思い出して、本気で這い上がろうという思いを持ち続けられたら、いつの日か逆境の中で咲く花となれるのかもしれませんね。

 

「逆境に咲く花は、他のどの花よりも貴重で美しい。」

 

これが1つ目の名言でした。

名言2

「夢を求め続ける勇気があれば、どんな夢も必ず実現できる。」

”All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them.”

 

ウォルトは子供の頃から夢を追い続けてきました。

絵を描くことから始まり、漫画家を目指すようになります。

その後アニメーターの仕事に没頭し、最後は実業家として「ディズニー・ワールド」の完成を夢見ていました。

彼は、生涯をかけて自分の夢を実現させる努力をしてきたのです。

実はこの言葉には続きがあります。

 

「いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを。」

”I only hope that we don’t lose sight of one thing – that it was all started by a mouse.”

 

このように続きます。

ディズニー社の成功の全ては、ミッキーマウスの誕生からでした。

元々敵役だったネズミが、ミッキーマウスという形となって、ディズニーを成功へと導いたのです。

 

私たちの人生においても、何がきっかけで成功するかなんてわかりません。

夢半ばで諦めてしまう人もたくさんいます。

でも、夢を追い続けていれば、いつか来るチャンスを掴めるかもしれません。

ミッキーがディズニーを成功に導いたように、私たちも訪れたチャンスを精一杯掴みにいきたいものです。

そのためには、いつまでも夢を追い続けていないといけませんね。

夢を追っていないと、チャンスにも気がつきませんからね。

 

「夢を求め続ける勇気があれば、どんな夢も必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを。」

 

これが2つ目の名言でした。

名言3

「勝者と敗者の違いはたいていの場合、やめないことである。」

”The difference between winning and losing is most often not quitting.”

 

夢を追うことを決してやめなかったウォルトのこの言葉には、説得力があります。

彼は何度も失敗を繰り返していますが、1度も夢を追うのをやめたことはありません。

成功への秘訣は「継続」なんです。

敗者は、運や実力のせいで負けるのではなく、レースから降りるから負けるんです。

1度や2度の失敗で辞めるようでは、成功はあり得ません。

 

私たちの人生においても、何かをやめたくなる時は何度もあるでしょう。

ですが、そこで1度立ち止まって、やめないことで成功する可能性を捨ててまでやめていいものかを考えてください。

何度失敗しても「やめないこと」が成功する秘訣なんです。

 

「勝者と敗者の違いはたいていの場合、やめないことである。」

 

これが3つ目の名言でした。

まとめ:夢は追い続けよう!

ウォルト・ディズニーは、生涯をかけて夢を追い続けました。

そして世界にあるディズニーランドは、彼の夢を具現化したものです。

 

「ディズニーランドは永遠に完成しない。この世界に想像力が残っている限り、成長し続ける。」

”Disneyland will never be completed. It will continue to grow as long as there is imagination left in the world.”

 

彼はこんな言葉を残して亡くなりました。

現に、ディズニーランドは今もなお進化を続けています。

 

夢を追い続けると同時に、成長し続ける

 

これこそが、彼が人生をかけて我々ディズニーファンに伝えようとしたことではないでしょうか。

僕はそんなふうに思います。

 

今回はウォルト・ディズニーの生い立ちと名言を紹介しました。

彼の人生や名言についてもっと知りたいと思った人は、彼に関する本がたくさんあるので是非読んでみてください。

また、他の名言の記事は下記にまとめているので、ぜひ読んでみて下さい。

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